疾患啓発6年目を迎えて(知見蓄積の必要性)

(作成日:2020年5月8日/編集済)

2015年から疾患啓発活動を始め、今年で6年目になる。発症して13年目だが、当初は診断が誤ってたし、そのあと何度か診断が上塗りされ、2013年から2015年頃にようやくどういう病気かがわかり、まじめに疾患啓発をはじめた。

最初からまじめに取り組んだ理由、というか、まじめに取り組む以外に考えられなかった理由は、私はいまの病気を発症する前、まわりの人と極端に認識齟齬が起きたり、自分の意見が極端に退けられる経験をしたことが無かった。知識や経験や工夫に至らぬことはあっても、全く取り合ってもらえない経験をしたことが無かった。それに私自身も、まわりの人の話を極端に信用しないような考えを持ったことが無かった。


それがいまの病気になったとたん、私の体調の悪さは徹底的に認められず、起き上がれずぐったりしてる原因を気の持ちようにされるなど、私はいままで経験したことのない、社会との認識齟齬下に置かれることになった。一日中起き上がれず、仕事も遊びも家事も、何もできない日がどれだけ続いても、適切な医療や支援を受けることができず、まるで無戸籍のような感覚になり、本来あるはずの人権が長期間失われた。

そのため、いざ自分の病気のことがわかって疾患啓発をはじめるとなったとき、テキトーや雑に取り組む気持ちになれなかった。たくさんできなくても、まじめに取り組むことしか頭になかった。


私は病気の認知向上や診療や支援の課題に対して、きちんとコミットできる活動をしたいと思った。でもはじめは何をしたらいいか、わからなかった。数年かけて、いろいろな人との出会いやさまざまなきっかけで、一つ一つ疾患啓発の方法を覚えていった。

疾患啓発にはいろいろなスタイルがあって、こうでなければいけないというものはない。それに、その疾患がその時おかれた状況で、目標もやり方も変わる。また当事者(患者)が行う場合はあまり大きな労力をかけられないので、その人の得意分野を活かす活動になる傾向もあると思う。

一方、疾患啓発のノウハウがどこかに知見蓄積されてて、それを見に行けばいいかというと、そうはいかなかった。私のように医療の世界から認められてない病気は、既知疾患と同じ方法をとれないことも少なくない。他の取り組みを参考にすることはできても、テンプレートのように真似ればいいというわけにはいかなかった。

このような背景から、未解明・未認定の病気からみて、やや普遍的に思えるような疾患啓発のポイントを記し、知見蓄積になればと思う。

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